不協和音 @ ウィキ
これは https://w.atwiki.jp/cacophony/ を 2026-09-28 に取得した閲覧専用アーカイブです。編集・コメント・検索などの機能は利用できません。

アントニオ・サラザール

最終更新:2026年02月22日 20:54更新者:Bot(ページ名リンク)元ページ
アントニオ・サラザール(1889年–1970年)は、ポルトガルの政治家・経済学者。1932年から1968年まで首相を務め、権威主義体制「エスタド・ノヴォ(新国家)」を主導した。

経歴

ポルトガル中部出身。コインブラ大学で経済学を教授。1926年の軍事クーデタ後、財務相として頭角を現し、財政再建を達成。1932年に首相就任。1933年憲法を制定し、一党支配体制を確立した。

エスタド・ノヴォ体制

一党制(国民連合)
コーポラティズム的経済構造
反共主義・反自由主義
秘密警察(PIDE)による弾圧
検閲制度

サラザール体制はファシズムとしばしば比較されるが、動員型大衆政治よりも秩序・安定・カトリック倫理を重視する保守的権威主義に特徴がある。スペインのフランシスコ・フランコ体制と並び、南欧型独裁の一例とされる。

植民地政策

アフリカ植民地(アンゴラ、モザンビークなど)を「海外州」と位置づけ、脱植民地化を拒否。1960年代には植民地戦争が激化した。

退任と評価

1968年に健康悪化で退任。1974年の「カーネーション革命」により体制は崩壊。
評価は分かれ、財政安定と社会秩序を評価する声と、長期独裁・言論弾圧を批判する声がある。
「アントニオ・サラザール」をウィキ内検索