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明治大学生田キャンパス

最終更新:2026年03月10日 12:47更新者:akaneakane元ページ
明治大学 生田キャンパス(Meiji University Ikuta Campus)
​明治大学生田キャンパスは、同大学における理系教育・研究の基幹拠点である。戦時中の旧日本陸軍「登戸研究所」の跡地の一部を利用して開設された歴史を持ち、現在は理工学部と農学部の2学部、および大学院の拠点が置かれている。

学部学科


理工学部 (School of Science and Technology)

​明治大学の理工学部は、1944年設置の明治工業専門学校を前身とし、生田キャンパス開設と同時にこの地を拠点とした。「数理科学」から「建築」まで、理学と工学が融合しているのが特徴。

​設置学科
​電気電子生命学科:
電気・電子工学に加え、バイオテクノロジーまでをカバー。 

​機械工学科
熱力学、流体力学、ロボティクスなどを中心とした伝統ある学科。

​機械情報工学科
コンピュータ技術と機械制御の融合を目指す。

​建築学科
意匠(デザイン)から構造、都市計画まで。明治の建築は業界でも有名。

​応用化学科
新材料の開発やエネルギー、環境問題に取り組む。

​情報科学科
ソフトウェアやAI、数理モデルなどの情報技術。

​数学科
純粋数学から応用数学までを深く研究。

​物理学科
宇宙、素粒子から物性物理まで。

​【学部の特色】
​実験棟の集積
キャンパス北側に巨大な「第2校舎」群があり、各学科専用の実験室や工作ショップが並んでいる。

​高度な数理教育 
全ての学科で数学的な基礎を重視しており、論理的思考力の育成に力を入れている。

歴史

軍事拠点から学術の府へ
​明治大学生田キャンパスの歴史は、近代日本の軍事史と戦後の高等教育発展の歩みを象徴している。その変遷は、大きく「陸軍研究所時代」「学園の開拓期」「理系複合キャンパスの確立」の3期に区分される。
​前史:陸軍登戸研究所時代(1937年 - 1945年)
​現在のキャンパス敷地の大部分は、かつて**帝国陸軍登戸研究所(第9陸軍技術研究所)**の所在地であった。
​秘密兵器の開発: 1937年(昭和12年)頃より、多摩丘陵の複雑な地形を利用した機密保持性の高い研究拠点として整備された。風船爆弾や偽札製造、生物化学兵器、特殊電波兵器など、当時の最先端かつ非人道的なものを含む秘密兵器の研究・開発が行われた。

​遺構の残存: 現在もキャンパス内には、当時の弾薬庫跡、消火栓、実験棟の基礎などが点在しており、当時の特異な歴史を現在に伝えている。

​開設と開拓期(1946年 - 1950年代)
​終戦後、軍事施設は解体されたが、戦火で駿河台校舎に甚大な被害を受けていた明治大学は、広大な土地と既存の建物を活用すべく、この地の取得を決定した。
​生田校舎の発足: 1946年(昭和21年)4月、旧研究所の建物を教室に転用する形で「明治農業専門学校」が開校。これが生田キャンパスの起点となった。

​学部の集結: 1949年の学制改革に伴い新制大学へ移行。農学部、次いで1950年には工学部(現・理工学部)が駿河台から移転し、現在の理系キャンパスの骨格が形成された。

​学生による開拓: 当時のキャンパスは荒地であり、学生や教職員自らが藪を切り開き、防空壕を埋めるなどしてグラウンドや校舎周辺を整備した「開拓」の時代であった。

​理系拠点の確立と平和教育(1960年代 - 現代)
​高度経済成長期を通じ、理工・農学教育の高度化に伴い、近代的な校舎群への建て替えが進んだ。
​施設・組織の拡充: 1964年には生田図書館が竣工。1989年には理工学部の学科改組が行われ、数理科学から先端工学までを網羅する体制が整った。
​負の歴史の継承: 2010年(平成22年)、キャンパス内に現存していた旧第3科倉庫(偽札製造関連施設)を改修し、**「明治大学平和教育登戸研究所資料館」**を開館した。大学が自らのキャンパス内に残る負の遺産を保存・公開し、平和教育の拠点とする試みは、教育機関として極めて稀有な事例である。
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