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生田(仏教)

最終更新:2026年03月10日 14:01更新者:akaneakane元ページ
生田(しょうでん)とは、仏教における譬喩表現の一つ。衆生が三界(欲界・色界・無色界)を生死輪廻するさまを、田んぼで稲が次々に生えては刈り取られる様子に喩えたもの。生死流轉の田地、すなわち迷いの世界そのものを指す。

概要


「生田」という語は、古代インドの仏教經典に由来するものではなく、主に中國や日本の佛教典籍において用いられる表現である。人生が禾穀(稻などの穀物)のように、生まれては滅し、また生まれ變わること(生死)を「田」に例え、その循環する世界そのものを意味する。

この語が收められた代表的な辭書としては、中國の丁福保が編纂した『佛學大辭典』がある。同書では「(譬喻)人生如禾穀,乍生乍穫,轉轉不巳,謂為生死之田地,三界流轉之地也」と解釋されている。

典拠


「生田」という表現が確認できる主要な文献として、唐代の義淨(ぎじょう)による『南海寄歸內法傳』(なんかいききないほうでん)巻二がある。同書には以下のように記されている:

「含生之類,衣食是先,斯爲枷鎖,控制生田」

これは「生きとし生けるものは衣食を先とす、是れ枷鎖(かさ)となり、生田を控制す」と訓読される。この一節は、衣食への執着が衆生を迷いの世界(生田)に縛り付ける枷(かせ)であるという意味で、「生田」が三界流轉の世界そのものを指す用例として知られる。

類義語との関係

仏教には「田」を喩えに用いる語が多数存在する。

用語 意味
生田 迷いの世界そのもの(生死流轉の場)
福田(ふくでん) 仏や僧に供養することで福徳を得られる場
佛田(ぶつでん) 仏そのものを福田とする場合の呼称
法田(ほうでん) 法そのものを福田とする場合の呼称
僧田(そうでん) 僧そのものを福田とする場合の呼称
恩田(おんでん) 父母など恩ある人に対する供養の場
悲田(ひでん) 貧者などへの施しの場

これらは功徳を生み出す「場」としての意味合いが強く、生死流轉の「場」を指す「生田」とは対照的な概念である。

脚注

参考文献

· 丁福保『佛學大辭典』(1922年)
· 義淨『南海寄歸內法傳』巻二
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